震える若武者




体が、震えた。

この若さにして幾度となく戦場に赴き、そして手柄をたててきたはずの『紅蓮の若武者』は、その夜、まるで初陣のときのように体が震えて止まらなかった。


川中島の合戦。
主である武田信玄の宿敵、上杉謙信との戦。
軍議の結果決まった策は――挟み撃ち。

そして、戦の勝敗を左右するであろう「啄木鳥隊」の隊長に、幸村は選ばれたのだ。

己に課せられたものは、重い。



(「落ち付け、落ち付かぬかッ!」)



明朝には総大将信玄率いる本隊を離れ、妻女山にいる上杉謙信の本陣を目指すことが決まっている。
今夜は早々に休み、次の日に備えなければならない。そう、頭では分かっているのだ。

だが。



(「止まってくれ…ッ!」)



眠ろうと目を瞑った瞬間体が震え出して止まらず、堪らず本陣を抜け出してきたのだった。

味方の兵達に見られるわけにはいかなかった。
啄木鳥隊の隊長に選ばれた者が無様に震えている様など見られては、軍の士気に関わる。

本陣から少し離れたところで立ち止まり、震える己を叱咤した。しかし、一向に体の震えは止まらない。
幸村は護身用に持ってきた朱羅の柄をきつく握り締めると、一心不乱に素振りを始めた。




(「幸村よ、お前は何をしているのだ!」)

武士ともあろうものが、何たる体たらくだ。

(「お館様が、この幸村を信頼して任せてくださったのだぞ!」)

初めて与えられた大任。重大な、重大な、役目。

(「武田軍の命運がかかっているのだ! 失敗は、許されぬのだッ!!」)

万が一啄木鳥隊が成功を収められねば、武田軍の危機に繋がる。

(「何を恐れている、真田幸村よッ!」)


それは即ち、お館様の――。



「――ッ!!」




瞬間、全身から力が抜けた。
手から滑り落ちた朱羅が、小さな音を立てて地面に転がる。

震えが、止まらない。



――それは即ち、お館様の、死――



「隙あり、か」
「え?」


突如後ろから喉元に当てられた、手。
全く気がつかなかった。こんな近くまで誰かが近づいてきていたことに。
相手が相手なら、この一瞬で己の命は終わっていたかもしれない。だが、聞こえた声は間違えるわけもなく…。

「お、お館――」
「声が大きいぞ、幸村よ」

背後に立っていたのは、まぎれもなく武田軍総大将、武田信玄その人だった。
まさか、こんな所にいるわけもない人物の登場に、一気に幸村の頭は混乱状態になった。振り返り、思わず上擦った声を上げる。


「ど、どうしてお館様がここに?」
「偶然、お前が外に行くのを見かけたのでな。何かあったか?」

返ってきたのは、耳に慣れた、低くて落ちつきのある声。
突然の登場に驚いたものの、自分を気遣ってくれている信玄の様子に自然と幸村の心は落ち付きを取り戻した。
体の震えも収まっている。
情けのない自分をお館様に知られたくはなくて、信玄の問いに対してとっさに幸村は嘘をついた。


「いえ、何でもございませぬ。少し、体を動かしたいと思っただけで…」
「幸村」

名を呼ばれて、自然と俯き加減になっていた顔を上げる。
その幸村の目に飛び込んできたのは、眼前に迫る大きな拳だった。
何も反応できずにそのまま思いっきり殴られて、体が宙に舞う。頭の中は真っ白で何も考えられなかったが、体が勝手に受け身を取って地面へと落ちた。
体を起こし、目の前の男を見上げる。彼は厳しい目付きで、幸村を見下ろしていた。

「お、お館様」
「幸村よ、わしを侮るな。お前の心の内、読めぬわしと思うてか」

その言葉に、幸村は恥を感じて顔を真っ赤に染めた。
見抜かれていたのだ。最初から、この虎の目に。
そのことにも気付かず隠そうとしたことや、そもそもお館様に嘘偽りを申し上げた自分があまりにも愚かで、幸村は地に両手をついて頭を垂れた。
そして、己が罪を懺悔するかのように、震える声を絞り出す。


「…叱ってくだされ、お館様。幸村は、まだまだ未熟でございます…」



己が招くかもしれない未来に、脅えているのだ。
心の弱さが映し出す、未来に。


死。
戦場に立つ者として、それは今までも常に隣り合わせのことであったはずだった。幾つもの死を見てきたし、己の覚悟も決めていた。
でもそれは自分自身のことであって、武田軍…延いては目の前の男のことではなかったのだ。

自分の背にかかる重みに、今更ながらまるで子供のように脅えている。
この存在を、失いたくはなくて…。




「幸村よ。お前は、わしの策を信頼しておるか?」
「そ、それはもちろんでございまするッ! お館様の策は、いつも我等を勝利へと導いてくださいますれば!」

突然の問いに、幸村は絶対の自信を持って答えた。信玄の策を疑ったことなど、かつて1度たりとも無い。
真摯な目で自分を見上げる幸村に、信玄は心底満足そうな笑みを浮かべた、そして、こう告げたのだ。

「ならば、幸村。お前を啄木鳥隊の長に選んだわしの読みに、狂いがあると思うてか?」


刹那、心を激しく打つ衝撃に幸村の眼が大きく見開かれた。


「何をらしくもなく考え込んでおる。お前はいつものように、猛る魂のままに進めば良いのだ」
「お館、様…」
「懸念せずとも良い。例え火の粉が我が身に降りかかろうとも、自分で払えるわ。それともお前は、そうやすやすとわしが倒れるとでも思うておるのか?」
「そんな! お館様の御力は、この幸村が誰よりもッ!!」

「では、恐れることなど何もあるまい?」


そうだ。お館様の策が外れるわけがない。
お館様が倒れるわけもない。
有り得もせぬことに、何を脅えていたのだろう。



幸村の眼に、光が戻った。熱き心を映した、紅蓮の炎の輝きが。



「申し訳ありませぬ、お館様ッ! やはりこの幸村、まだまだ未熟でございましたぁああッ!」
「うむ。精進せい! 期待しておるぞ、幸村よ」
「はッ! 必ずやお館様のご期待に応えてみせまする!!」

「幸村ぁああ!」
「ぅお館様ぁぁあああッ!」


信玄の叫びに呼応する幸村の表情は、先程までとは打って変わって眩しいほどに晴れやかで。
その心には、もう一点の曇りもなかった。




――翌朝――


「真田の旦那。準備完了だ」
「おお、そうか! ではいよいよだなッ!!」

見ていてくだされ、お館様ぁあッ! などと熱く叫ぶ幸村に苦笑しながらも、佐助は心の中で1人胸を撫で下ろしていた。


(「さすがは大将。すっかりいつもの旦那だな」)

昨夜、人目を避ける様に本陣を抜け出す幸村に気が付いて信玄に報告したのは佐助だった。
自分で声をかけようかとも思ったのだが、常ならぬ幸村の様子に自分の出る幕ではないと思ったのだ。
そしてそれは、正しかったに違いない。

佐助はその後、木の上から2人のやり取りを見守っていた。
そして改めて、幸村にとってのお館様の存在や言葉のもつ影響力の大きさを感じたのだった。


(「やっぱり真田の旦那は、こうじゃなきゃね。大人しい旦那なんて、旦那じゃないって」)

昨日の旦那は別人だったもんなぁ、と、昨夜の幸村を思い返しては密に頷く。

(「この様子なら、もう大丈夫でしょ………って」)


「…旦那?」

恐る恐る、といった様子で佐助が声を掛けた。
つい先程まで「この幸村、存分に働く所存ッ!」と声を張り上げていた幸村の背が、小さく震えていたからだ。
佐助の頭に、一瞬嫌な予感がよぎる。

だが、それは杞憂だった。


「気にするな、佐助。只の武者震いよ!」


振り向いた幸村の覇気に溢れる武士の顔に、啄木鳥隊の士気が一気に高まる。
安堵の表情を浮かべた佐助が促すと、十文字の槍を掲げ、幸村は空に向かって咆哮した。



「うぉぉおおお、いざ、出陣ッ!!」




紅蓮の瞳は前だけを見据えている。
もう、己の心の弱さ故に震えることなど、ない。









記念すべき、戦国BASARAの創作小説としては初のものです(先にミニネタ書いたから)。
我が愛しの武田軍から、真田幸村に焦点をあてて書いてみました。
幸村は、もっと強い男だと思っておりますが…しかしまだ17(16でしたっけ?)歳の若造。
きっとこんな葛藤も、あっただろうと思いまして…。

あ、因みにこれ設定色々捏造ですから! 真に受けないでくださいね。
あくまでBASARA設定に基づく私の捏造です。啄木鳥隊隊長が初めての重大任務とか…。

啄木鳥隊の隊長が幸村だなんてことは、史実では絶対ありえませんよね…。
だってまだ幸村、生まれてもいないよ…(爆)。

桐屋かなる  2005.9.1
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